kumorinekoの雑記

東京在住、とりあえず始めます。

花粉症かもしれない

こんばんわ。

 

ここ最近鼻がムズムズして、目が痒い。

風邪を引いてるわけではないのに、くしゃみを頻繁にしている。

これは明らかに花粉症の症状ではないか。

よく花粉症は各々が持っているバケツの水が溢れると症状が現れると聞いた事があるが、とうとうその水が溢れてしまったという事だろうか。

生涯で「あ、これ花粉症だな」と自覚したのはいつしかの春1回だけだ。

そもそも勝手になって、勝手に治るなんて事あるのだろうか。

 

叔父が手術までして改善させた言うが、確かにこの症状が酷くなると薬で抑え続けるのも億劫だ。

水虫の特効薬を開発すればノーベル賞ものらしいが、花粉症の特効薬も同等の価値がある気がする。

それとも知らないだけで病院に行けば今はそんな薬がすでに存在しているのだろうか。

 

春は好きだが、花粉症が辛い。

夏は好きだが、暑いのがキツい。

冬は好きだが、最近寒さが肌に染みる。

 

短い秋よ、早く来い。

スポーツで1番熱狂した瞬間

こんにちは。

 

WBCが盛り上がっているが、スポーツに興味ない人には連日のメディアの報道にうんざりしているだろう。

私自身は学生時代は運動部に所属し汗を流し、スポーツ鑑賞も広く浅くではあるが色々観ている口だ。

 

では今まで観ていた中でテレビの前で1番熱狂した場面は何だったのか。

ちなみに2009年WBC勝戦はリアルタイムで観ていて、韓国代表が9回に同点に追いついた時「あぁ……これは負ける流れだな」と何故か風呂に入りに行き、上がった時には日本に2点が入っていたという失態を犯している。つまり(特に野球ファンの間で)日本史上スポーツの駆使の名シーンと言われるイチローのセンター前ヒットを目の前で見逃している。

思い起こしてみるとマイベスト熱狂シーンは、

 

1997年『K-1 KINGS』における佐竹雅昭VSマイク・ベルナルド戦、佐竹雅昭のハイキックからの連続後ろ回し蹴りがベルナルドの顔面にヒットした瞬間だ。

 

今の若い人は信じられないかもしれないが、90年代後半から2000年代前半にかけて大格闘技ブームが起こった。

全盛期は大晦日に民放3局で異なる格闘技イベントを大々的に放送し、観ている側は各イベントの自分が見たい試合に合わせザッピングが忙しかったのは良い思い出だ。

 

当時K-1は飛ぶ鳥を落とす勢いで人気を獲得し、世界中のヘビー級の屈強なキックボクサー達が日本に集まって熱い試合を繰り広げていた。

その中において日本人のエースとして海外の化け物と試合をしていたのが佐竹雅昭選手だった。

今思えば同じ土俵に立てていた事自体が凄かったと思うが、他の外国人選手に比べるとどうしても見劣りしてしまい、どこか「どーせまた負けるんでしょ」的な空気があった。

相手はK-1において屈指のハードパンチャーとして知られたマイク・ベルナルド選手。恐らく多くの人が早い段階でワンパンKOだと思っていたはずだ。

佐竹選手は積極性に欠ける試合と言われていた当時の姿勢を改善しようと最初からガンガン飛ばしていった。ベルナルド選手は上手く捌きながらやや余裕気味に試合を進める。

「やっぱり格が違うなぁ」と思っていたその時だった。

コーナーに追い詰められた佐竹選手が放った右ハイキックを躱すベルナルド選手、その瞬間グルッと回転し追撃の回し蹴りがベルナルド選手の顔面にヒット!

「うおおおおおおおおおお!」とテレビの前で叫ぶ。

画面の中の会場も割れんばかりの歓声。

勝てるかもしれない!勝てるかもしれないベルナルドに!と大盛り上がり。

グラつくベルナルド選手。ダウンはせず堪えるも、佐竹選手が追撃のワン・ツー!

いけるいける!

解説の石井館長も叫ぶ。

しかしその後は佐竹選手の猛追を振り切り、最後はベルナルド選手貫禄の右フックでK.O。

という試合だった。

 

何だかんだ、みんな佐竹選手を応援していたのだ。

小兵力士が大柄外国人力士を倒すのと同じ構図がそこにあった。

後にも先にもあんなに叫んだ瞬間は思い付かない。

あの頃の格闘技は同じように熱狂できる試合が何度もテレビで楽しめた。

 

ところでおじさんになると「あの頃は〜」と言いがちだが、それはきっと自分自身が積極的に熱狂できる事に遠ざかっているからではないだろうか。

若い頃の様に熱狂できる事は探せばきっとある。

賞味期限切れの限度

こんにちは。

 

過去に1度、明らかに食中毒と思われる症状になった事がある。

忘れもしない、夕食にカップラーメンに生卵を落として美味しく食したのだが、その数時間後から体調が急に悪化。

汚い話にはなるが、上から下から洪水が止まらない。

翌日仕事を休み、身動きも取れずトイレに籠るしか無かった。

病院嫌いな私はそのまま1日中家で放心状態。

しかし若かったからか、翌日には回復した。

 

この時、『消費期限』が切れていた事を知っていたにも関わらずあろう事か生卵を食すという愚行を犯してるわけだが、それ以来、この『消費期限』にはだいぶ敏感になった。

同時に『賞味期限』にも恐れを抱く様になってしまった。

 

頭ではわかっている。『賞味期限』が少しくらい過ぎたくらい何ともない(はず)。

調理法によっては全く問題無いだろう。

でももし万が一……。

これがトラウマというやつか。多少は過ぎていても大丈夫だが、あの絶望の1日を2度と体験したくないという思いが、私にストップをかける事がある。

 

一方妻は、賞味期限切れなんぞ全然チャラへっちゃら派だ。

余り使わない調味料系なんて、半年経過は余裕の素振り。一応匂いと状態確認はもちろんするのだが「どうせ火を通すし」とパッパッパッ。

これまで体調を崩した事は無いので結果大丈夫ではあるが、ヒヤヒヤする事もある。

 

……気にし過ぎだろうか。

いや、星新一氏のショート・ショートにもあるだろう。

気をつけ過ぎて一向に仕事が進まないあるスパイが交代を命ぜられ、次に任命されたいい加減なスパイが一瞬で毒殺された話が。

注意に越した事はない。

 

今はまだ良いがこんな些細な衝突が亀裂を産み、やがてそれは修正できない大きな溝に広がっていくのだろうか。

 

育ってきた環境が違うから、頑張ってみるよ少しだけ。

 

そういえばの冨樫義博展

こんにちは。

 

そういえば12月上旬に『冨樫義博展』に行った。

私の場合世代直撃という事もあって『幽☆遊☆白書』に夢中になり、『レベルE』の虜になり、『HUNTER×HUNTER』の続きを待ち侘びている状態だ。

 

この『冨樫義博展』。

結論から言うと、同じ様に冨樫義博氏の漫画に魅了されている人は150%の満足度を持って会場を後にする事になる。

スタッフが余程優秀なのか、展示されている内容全てが「ああ……この人達は本当に冨樫さんが好きなんだな」と思わせてくれるラインナップ。

過去作品含む代表作のツボをほぼ完璧に抑えている。

ファンにとって『原画』は何よりの鑑賞対象だ。

「この場面の原画、見てみたいな」というのを殆ど網羅している素晴らしさ。ゾロゾロと歩きながらその度に「うわ!ここ来たか!」と唸る。

当然原画のラインナップだけでなく展示会場全体の流れ、構成、グッズに至るまで抜け目がない。

 

しかし、冨樫義博ファンでなくとも楽しめるとは言い難い。

一応全く知らなくても歴史を辿ってよくわかる構成にはなっているし、プロの漫画家のプロの仕事を目の当たりにできるという点では間違いないが、せめて代表作の1つでも事前に読んで鑑賞するのが好ましい。「へー知らなかった、すごいねー」で終わらせてしまうにはもったいない。

 

東京での開催は先日終わってしまった。

今年7月から大阪、11月から福岡で順次開催予定だ。

冨樫義博ファンで惜しくも見逃してしまった人、まぁそこまで期待をしていない人、大阪か福岡に行く価値はある。

togashi-ten.com

 

というわけで今更ではあるが、『冨樫義博展』個人的な感想。

 

今思い出したらもう1度行きたくなった。

 

まさかの「マスクをしなきゃ」と言う気持ち【お題参加】

 

私がとらわれていた「しなきゃ」

LIFULL STORIES

by LIFULL STORIES

 

こんにちは。

 

元々マスクを装着する習慣は無かったし、嫌いだった。

息苦しくなる様な気がしたし、インフルエンザが流行っているぞ!という中でも頑にしなかった。

風邪予防でもないのにマスクをしている人を良くも思っていなかった。

 

3年前コロナが流行りだし、段々世の中全員がマスク生活に馴染んできた頃、あれだけ嫌悪していたマスクを下着を履くのと同じ感覚でする様になった。

家から出てしばらくした後に忘れた事に気づいて「あ!」となり、コンビニでわざわざ買ったりした。

夏の暑い日でも、汗だくになりマスクが湿ってもなるべく外さなかった。

蔓延ピークの頃外でマスクをしていない人を見かけると「あの人非常識だな」と横目で見て距離を取った。

 

同じ様にマスクが苦手だった人が「マスクをしなきゃ」と気持ちが変化した人は多いのではなかろうか。

そして、未だに外に出る時はマスクをしている。

いつしかもう、マスクが息苦しくて嫌だという気持ちは微塵もない。

まだまだマスクをしている人の割合はかなり多い様に思う。してないのは外国人ばっかり。きっと「まだマスクしてるのかよ」と呆れているだろう。

私もきっと、マスク人口が4割を切った頃を見計らって「マスクをしなきゃ」から解放されるだろう。所謂マスク依存症的な状態でないと信じたい。

 

まだ蔓延がピークだった頃、お寺で厄払いをしてもらった後和尚さんが説法を織り交ぜながら世間話の中で「マスクは自分の為にするのではなく、周りの人の為にしている」というニュアンスの話をした。何となく、目から鱗が落ちた気分だった。

それぞれ色々な信念を持って、マスクをしなかった人もいるだろう。それはそれで他人がどうこう言えるものではないと思う。だがそれは結局『自分の為』。万が一自分が罹患していてそれを他人に移さない配慮、ただそれだけだ。

 

路上で1箱3,500円でマスクが売られていた事を懐かしく思う。

「あの時全員マスクするのが当たり前だったよね」

と懐かしく笑い話ができるまでどのくらいだろうか。

 

先日60枚入りの新しいマスクを1箱買ってしまった。

 

家、ついて行ってイイですか?

こんにちは。

 

いくつか録画して観ている番組の1つが、タイトルの『家、ついて行ってイイですか?』だ。

ja.wikipedia.org

 

エンターテインメントだし仕込みがあったりするのは当然だろうが、今回はそれに目を瞑るとして、まぁ色々な人生があるものだと感心する。

頑張ってる人を見ると素直に応援したくなるし、苦労を重ねている人の人生に感動したりする。

自分以外の人生を知るのは面白い(ブログも同じ事が言える)。道ですれ違っただけの人の人生を知れるのは皆無だからだ。

けど本質は、どうしても他人と比べてしまう人間の心を番組が代わりに可視化しているのではないか、という歪んだ見方もしてしまう。

例えば「あの人よりはまだマシだな」とホッとしたいとか。

 

……と、そう思ってしまう所が私が人間として4流である事の証明でもあるのだが、何かに没頭してその為にそれこそ命をかけて生きている人は、他人なんてどうでもいいはずだ。

自分もそうありたいと思ってはいるが、これがなかなか……。

 

側から見れば優雅でいかにも幸せな生活をしている様でも、その実情は本人にしかわかり得ない。今は誰でも情報発信ができる時代だから、他人が目につく様な批判もバンバン匿名で発言ができてしまう。常に何処かに目の敵がいないと、パンクしてしまうという事だろうか。

 

番組を見ている時、時々、考える。

もし声を掛けられたらどうするか。

一緒に観ている妻とも話すのだが、結論としては「すみません、急いでるんで」。

何故なら私も妻もこれと言ってドラマチックな人生を送ってきていないし、物語になるような悲劇もこれと言って無い。住んでいる地域も借りている部屋も特殊でもないし、家族に有名人も居ない。

2人共テレビ映えする面白いキャラクターでもないし、学校ないし家庭もないしヒマじゃないしカーテンもないし……。

 

正直に言うと妻との出会いは偶然が重なって割と数奇なベンジャミンバトンを感じるが、テレビで晒されるのは恥ずかしい。

 

そう考えると、声を掛けられて断る人の内何割かは番組をよく観ている熱心なファンではないだろうか。家に着いて行くことを許可してくれる人は「あ、知ってる知ってる〜」とテンションが高いせいぜい『番組名は知ってる』程度の人が多い気がする。

 

とは言え割とどんな人でも『何か』は出てくるものだ。

その価値は、他人しかわからない。

 

そういえば全くCDを買わなくなってしまった

こんにちは。

 

20代前半くらいの時は、月に5枚はCDを買っていた。

お目当てのミュージシャンの新譜は発売前からワクワクしていたし、その新譜を買うついでに適当にジャケ買いや気になったものを視聴して気に入れば購入していた。

今も音楽は変わらず好きだが、まさか近い将来に自分がCD離れをする事になるとは思わなかった。時代の所為にはしたくない。昔から今も変わらずCDとして新譜は出続けているのだから。当時は特に用が無くてもCDショップに足を運んだものだ。

 

まだ自分が若い時、周りの中高年が言っている言葉を飲み込み「自分はああはならない」「普通のおじさんにはなりたくない」と決め込んでいた節があるが、さて自分が中高年になった今はどうだろう。

蓋を開けてみれば順調に「昔は〇〇で良かったなぁ」「今時の若いもんは……」なんて言ったり思ったりしている。

でもだから、年齢に関係なく挑戦を続けている人を尊敬する。自分もそうでなくては、と思う。

 

しかし何が正解なんてないし、何よりまず健康であるのならばそれで十分ではないかとも思う。

 

……まずいな。

 

こんなことを言ってること自体、絵に描いた様なおじさんだ。