それを幸福と認識しているか
こんにちは。
昨日は『一粒万倍日』『天赦日』『寅の日』が重なる大層な開運日だったらしい。
私は今まで年末ジャンボ宝くじ系は数える程、ほんの数口しか購入していないが、ロト6を定期的に買っていた時期がある。
毎回同じ番号。1度これだ!と決めた番号の呪縛から逃れられない。万が一その番号が1等の当選番号になった場合、後悔しても仕切れない状態を回避する為だ。
とはいえ、もちろん1等はおろか最高でも1000円が私の限界だ。
神社やその他神様に何かをお願いする時「どうか宝くじが当たりますように」とお祈りする人は結構いるのではないだろうか。
ふと思ったのが、神様が願いを叶えてくれるのを前提として、その人が幸福と心底思っていることを汲み取ってくれるとしたら、例えば家族が健康で暮らしてる事を幸福だと認識している人の場合宝くじの願いは掬ってくれないではないかという事だ。
本気度が足りない。
そうか、そうに違いない。
だからまだ私にも1等当選という幸福が降り注がないのか。
今は色々な宝くじが1週間のどこかで抽選をし、毎週数人が大金を手に入れている(はず)。
それが俄には信じ難い。毎週だ、毎週。
だったらそろそろ巡ってきてもいいだろうと思ってしまう。
でもわかっている。
凄い幸運度が高い日だよ!というのを目にしているのに、昨日ロト6を買い忘れた私にはいつまで経っても『その時』は訪れないのであろう。
なんか急に大金を手にするとむしろ不幸になるっていうし。
別に車も欲しくないし、高級マンションに住みたいわけでもないし。
身の丈にあった健康な生活、それが何よりの幸福だから。