kumorinekoの雑記

東京在住、とりあえず始めます。

あなたは『セグウェイ』に乗った事があるだろうか

こんにちは。

 

先日、まだ猛暑が冷めやらぬ9月の初め、妻と妻の友人夫婦と4人で浜松の『はままつフルーツパーク時之栖(ときのすみか)』というやけに名前がカッコ良い農業公園に行ってきた。

目的はグランピングで、広大な敷地内にキャンプエリアやら果物狩りができる場所やら遊具がある公園やらが点在する大人から子供までが楽しめるテーマパーク(?)だ。

hamamatsu-fp.co.jp

グランピングの話はさておき、1泊して次の日、その広大な敷地の中のアクティビティの1つに『セグウェイ体験』というものがあった。

名前を聞いたことある人は多いと思うが、実際に乗車体験をした人はどうだろう、意外と少いのではないだろうか。

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そう、これだ。

動力はバッテリーによる電動。正直画面の中でしか誰かが乗っているのを見たことがなかった。

今回友人夫妻は見守りとなり、私と妻が挑戦することにした。何となく乗ってみたい、それだけだった。

金額は3種類、短いコース¥1000、長いコース¥3000、その中間コース¥2000と、明瞭会計。どれも15分程のレッスン付き。少し考えて¥2000個コースをお願いした。

 

ヘルメットを被りすぐ外に出て、ちょっとクセのある従業員の方とマンツーマンレッスンが始まる。

しかしこれが意外と難しい!

操作としてはボードの上に立ってハンドルを握りハンドルが直結しているバーを倒すと発進する仕組みだが、最初はどうしても体勢を保つ為にバーが斜めに傾いてしまう為、その場で停止していることが難しいのだ。

バーを少し横にすると左右に向き、傾きの具合やスピードでその速さが変わる。

私は「ちょっと早く傾けすぎ」と何度も注意を受けた。

基本的な動作から始まってスラロームやスピードを出した走行、そして止まり方など一通り丁寧に教えてくれる。止まる時は腕を伸ばしてお尻を突き出すような形で停止するのだが、なかなか思い通りに行かなかった。

最後に急な坂道に移動しての練習。柵の外は急斜面になっている場所で「あれ突き抜けたら川に一直線だから気をつけて」なんて怖い事を冗談まじりにサラッと言う。内心ビクビクしながら動かしたが、下り坂道の場合構造上、そのまま進むだけでバーが手前に傾くのでエンブレが掛かっているような状態になる為それほど慌てることもなかった。

 

30分くらいレッスンしてくれただろうか。

その頃には運転には慣れ、いざスタート。幸い我々以外体験者が居なかったので、広大な敷地を悠々と進む。お互い走りながら写真を撮れる程(危ない)運転ができるようになり、森の中の細い道や上下する坂道も問題なく駆け抜けた。

炎天下ではあったものの、風が心地よかった。

 

40分〜50分くらいだろうか。練習の時に使った坂道を登って、元の場所に戻ってきた。

「もっと乗っていたくなるでしょ」と従業員。

まさにその通り。この場所のような自然のコースならばあと1時間くらいは堪能したいと思わせてくれた。

 

また乗ってみたい。

そう思って帰りに調べてみると、セグウェイ自体が2020年に生産中止な上、それもあってか現在セグウェイ体験ができる場所が意外に少ない事を知る。

調べた限り全国でも10箇所も無い。もしかしたらかつてはいっぱいあったのかも知れないが、もう時代遅れということだろうか。ちなみにフルーツパークは結構良心的な値段設定だと思う。

 

普段使わない筋肉を使ってるのであろう不思議な筋肉痛になりながら、次はどこのセグウェイに乗ってやろうかと考えている。

特に寒い時期に差し掛かるとその言葉を当たり前のように【お題に参加】

今週のお題「これって私の地元だけですか」

 

こんにちは。

 

静岡県あるあるなのかも知れない。

例えば帰省して親が「ご苦労さん」と迎えてくれた後、荷物を置いて仏壇に線香を上げに行き一息つくと「お茶飲む?」とくる。

朝ご飯を食べ終わると「お茶飲む?」だ。

昼ご飯を食べ終わるとすかさず「お茶飲む?」。

夕飯後お腹いっぱいになった所で「お茶飲む?」が当たり前。

夏は基本的には麦茶になるので聞かれないが(年配者は夏でも温かいお茶を飲んだりする)、急須で淹れたお茶を事あるごとに飲む習慣がある。別にそんな要らなくても何となく「あぁ、じゃあ」と答える。

 

地元にいる頃は親戚の家に行ってもそれが至極当たり前だったので何とも思わなかったが、関西出身である妻が最初私の実家に来た時「めちゃめちゃ茶飲ますやん(笑)」と驚いていた。

他県では普通にジュースとかコーヒーが主流なんだろうか。お茶の生産量が鹿児島に抜かれたと聞いた事があるが、鹿児島でも日常的にお茶を飲むのだろうか。

 

静岡県は全国トップクラスで『健康寿命』が長いらしい。

色々な要因があるだろうが、これだけ毎日恒久的にお茶を飲んでる習慣はその一因であるはずだ。

そして恐らく静岡からどこか別の土地に1人暮らしで出た場合、その週間は無くなるはずだ。

無くなっても別に何とも思わないのもセットで。

 

だから実家に帰った時に急須で淹れた緑茶をズズズと事あるごとに飲む、という行為に「実家に帰ってきたなぁ」としみじみ思うのも、静岡が地元の人間ならではないかと思う。

 

果たしてこれもお得意の『若者の〜離れ』に該当するのだろうか。急須離れとか、お茶離れとか。

あれだけスポーツ観戦が嫌いだった妻がWBCきっかけで変わった話

こんにちは。

 

私は割とスポーツに関心がある方だ。

中・高と運動部に所属していて、体を動かす事も嫌いじゃないからとも言える。

野球、サッカー、テニス、ゴルフ、陸上、格闘技などなど、そしてオリンピックで例えば民放でピックアップされて放送されるものは細かいルールが分からなくても観てしまう。

だがそれぞれにおいて熱狂的ではなく、基本的なルールや楽しみ方以外の深いところまでは知らない。チームにおいて、個人に対して、特に贔屓している誰かなどはいない。

 

そして妻はスポーツに全然関心が無い。

いや、今にしてみれば『無かった』。

というのも、これは今年は特に増えたと思うが、あの『WBC』でプロ野球に興味を持ち始めたのだ。ちなみに野球自体は一定の割合で存在する「プロ野球は観ないけど高校野球はなんか好き」という人種だったので、ルールなどはある程度把握している。

が、テレビで私が野球にするとどこか不機嫌になり「まぁ、観ていいいよ」と言いながらそっぽを向き携帯で動画を観るのが常で、途中で観戦を止めこぼれ落ちた不機嫌を拾ってバラエティに切り替えたりするのが日常だった。

 

しかし『WBC』における漫画を超えたあの物語が、1人のスポーツ嫌いを変えた。

相変わらず他のスポーツには目もくれないが、関東で放送される野球の試合があるとチャンネルを合わせ、熱心に一喜一憂する様になった。

プロ野球速報もチェックする様になってしまった。

すっかり『WBC』に夢中になったお陰で各チームの代表的な選手を覚え「このチームには誰がいるね」という具合にどんどんハマっていった。「この選手イケメンじゃね?」とキッカケは何でも良い。一緒にあの毛嫌いしていたスポーツでワイワイ観戦できるのが嬉しく思う。

挙げ句の果てには今年に入って3回も関東の球場に足を運んで試合を生観戦するまでになった(過去数年前に1回だけ観にいった事がある程度だった)。

私が今年ベイスターズを応援している事もあって(毎年変わる)、ベイスターズ各選手の応援歌も大体歌えるまでになってしまっている(私は1人2人なら何とかわかるレベル)。女性はきっと一旦火が点くとこういうのが早い気がする。

今では各球場の所謂『球場メシ』が気になって、少なくとも関東近郊の球場は全部行ってみたい!と目が輝いている。瞳の奥には選手や野球ではなく各所の食べ物が見えている気がするが、そう、キッカケは何でも良い。

ちなみに大声で語れる程の経験値はないが、生スポーツ観戦における臨場感と雰囲気は格別なものがある。野球に限らないと思うが、ただ観戦するのならテレビの方が圧倒的に観やすいのにわざわざお金を払って足を運ぶ価値は良い意味で対価に見合わない。

 

この勢いでまもなく始まる『世界陸上』も一緒に観れないだろうかと目論んでいるが、先日「いやぁ、まさか野球がここまで好きになるとは思わなかった。これもしかして、陸上一緒に観てもハマるんじゃない?」とジャブを打ってみたが「いや、それはない、観るならひとりで観て」と高速で躱されると同時に重めのボディブローが腹に突き刺さっていた。

 

と、ここまで来て懸念はある。

妻はとにかく1度火が点くと燃えるのが早い。それはやがて業火となり、たまにチロチロ焚き火を長く楽しんでいる私にもその炎が燃え移って巻き込まれる事がある。だがその業火は多くの場合、薪に移って長く燃え続ける事は無い。

ふと目を離した隙に、火は消えている。そしていつ消火したのか判然としない。その火が再び点火するかは誰にも分からない。

今までもそうだった。

今現在は激しく燃えている巨大な炎に見えて、その実情は風前の灯なのかもしれない。

 

妻が私自身に関してそれほど燃えたかどうかは分からないが、今の所パチパチ音を立てながらその灯りは消えていない。

常に薪を焼べねばならない、という事だろうか。

いつかの神宮 ビジターに陣取った



火事と花火

こんにちは。

 

先日妻と『いたばし花火大会』に行った。

まともな花火大会観覧なんてほぼ初めてに等しかった。『大ナイアガラの滝』という有名な花火が見たい!という妻の希望でチョイスしたわけだが……。

 

それともう1つの目的は、いやむしろこちらがメインだったわけだが、花火大会で催される屋台を堪能する事だ。一応諸々事前に下調べはしていた。頭の中のイメージはバッチリ。神社などで賑わっている何店舗も屋台が連なる一角があるに違いないと目論んでいた。色々食べながら、歩きながらでも良い、チラッと花火が見えるのであれば、なんて。

 

会場近くのJR埼京線浮間舟渡駅』は電車から降りる前からその混雑ぶりを伝えていた。

1つ手前の『北赤羽駅』とではホームにいる人の数が田舎の何でもない横断歩道と週末の渋谷のスクランブル交差点の人口比率くらい差があった。

降車ドア前に何人も連なる駅員。ロープが張られ万全の準備体制。何年もかけて築き上げてきた熟年の技だろう。とんでもない数の人間が一斉に群がる駅構内は、混沌の中ではあるが確かに統制されていた。

 

言われるがままに改札を通り、自然に会場方面に足を進めていく。

出てすぐのローソン、その先のセブンイレブンには長蛇の列。飲み物を買うためにセブンの列に並んだが、商品購入まで30分以上を要した。トイレとレジの案内をする為に立っていた店員の名札を見ると別店舗の店長だった。この日のために精鋭を招集しているという事か。ぜひNHKの『ドキュメント72時間』に密着して欲しい。

 

購入したビールを飲みながら人の流れに沿って河川敷へと歩き進める。

この時花火開始の1時間ほど前だった。

正直言って「行けば流石にわかるだろう」精神で大して詳しくは調べなかったので、お目当ての『屋台』が階段を登って遠くが見渡せる場所に行っても一向に見えない事に一抹の不安が過ぎる。

必死で案内をする警備員に「あの……屋台はどの辺りに」と直接聞いてみるも耳に入らなかった様で、もう1度話しかけようとしたところに女性2人組が同じ質問を同じ警備員にしたのが聞こえ「この階段を降りてあっち方面です」と答えていた。

0距離だったが、どうやら男の声は聞こえないらしい。

 

言う通りの方向に進むにつれ、斜面になっている河川敷の川表には続々と人が集まっている。腰の高さの雑草を物ともせず、雑草故に人気がないのであろう箇所にまばらにシートを広げ花火を待っている。

しばらく歩くとどうやらメインステージからはまだ大分離れてはいるが、明らかに今までとは違う人集りの空間まで辿り着いた。お祭り的雰囲気ではあるが……そう、屋台が無い。ネットでは10件くらいはあるよ、と下調べしたつもりだったが、蓋を開けてみれば更に奥のメインステージ付近を含めて疎らに点在していただけだった。

少ない屋台飯を求めコンビニで並んでいた人数の10倍の人が長い列を成していて、商品を手にする頃には花火が終わってしまうのではないかと心配になった。

 

それでも今ならまだ間に合う、と近くの芝生に席を確保し(無料スペース)、私がその長い蛇の尻尾に並んだ。食べ物の商品ラインナップは焼きそば、たこ焼き、焼き鳥、唐揚げとど定番、出来合いの物だ。

もうこの時点で何もかもが目的と違うが、しょうがない。

並んで数十分、後20人位で私が購入する番という絶妙のタイミングで「すみませーん!焼きそばがもう無くなってしまいましたー!」という店員のおばちゃんの大声でのアナウンスが入る。

……何だと?

頭の中では焼きそば2つ、唐揚げ1つという購入プランが最後尾に並んでいた時からあったというのに。無くなったものは仕方ないので、泣く泣くたこ焼き2つ、唐揚げ1つというプランに切り替える。私の前後に並んでいた人達もその無慈悲なアナウンスにザワザワしている。後ろには私が最初に並んだ時より人が増えているが、そのアナウンスは後ろまで届いてはいない。焼きそばを求め健気に並んでいる人達はどうするんだろう。

やがて次が私の番、という所まで来た。前に並んでいた女性2人組が「今何が残ってます?」と聞くと「たこ焼きはあと1個しかない」とまさかの返事に対し「あ、じゃあとりあえずたこ焼きと……」とうんうんそうでしょうね、という返し。これで選択肢からたこ焼きも消えた。目の前で消えた。

結局1時間近く並んで候補にも無かった焼き鳥と唐揚げという最低の成果しか挙げられなかった。

 

買い物を終え確保した芝生のスペースに着いたその瞬間にカウントダウンが始まり、花火が始まった。特に考えもせずに「何となく空いてたから」で陣取った所だったが思いの外かなり良いポジションで、ヌメっとした空気を貫く大型花火の重低音に耳を傾け、空を彩る複数の花火にしばし見惚れていた。

途中、自分達の場所から左奥前方、木々の上の方から花火の余煙にしては少しグレーが濃い煙がモクモク上がっているのが見えた。

遠かったし花火会場だしそんな気に留めなかったが、数分後に後ろからサイレンの音と赤く点滅する車両が現れ、会場が一瞬不穏な空気になる。

だが目の前ではまだガンガン花火が打ち上げられている。

そう、同時開催の『戸田橋花火大会』が頑張っていたのだ。

私達が陣取った場所からは『いたばし花火大会』のナイアガラの滝は全く見えない位置にいたのだが、どうやらそのナイアガラで事故が起こったらしく(これは後で知った)、その後すぐに大会自体を中止いたしますという放送が流れた。

その場にいた人達は何が起こったのか釈然としない中、ゾロゾロと帰路につき始める。大半はいや、まだあるはずだとその場を動かない。

しばらく中断していて「さすがにもう終わったかな?」と思ったその時、再びピューッと尾を引いた閃光が放たれ、胸にダイレクトに響いてくる振動と共に中空に光が散った。

幸いにも戸田側の花火師が頑張ってくれて、素晴らしいフィナーレを見る事ができたのだ。帰ろうとしていた人達も足を止め、一斉に上空を見上げる。

自然に拍手が起こっていた。

 

帰りは最寄駅から更に一駅分歩いた。

考えることは皆同じ。狭い歩道をゾロゾロと行進が続く。毎年近隣の人は自宅から花火が見えるという付加価値と引き換えに、この混雑を許容しているのだろうか。

 

有名な隅田川や同時に開催されていた江戸川の花火大火に比べたら混雑はまだマシな方だったに違いない。無料でありながら芝にゆっくり陣取ってストレスフリーで花火を堪能できた。当初の目的とは全然違う物になってしまったが、総じて素晴らしい花火大会だった。

実際のところ私達は、『いたばし花火大会』を満喫できたのだろうか。『戸田橋花火大会』を満喫していたのだろうか。同時開催と謳っているが、どの花火がどちらなのかはよく分からない。

でもそんな事はどうでもいい。

火事の方は怪我人がいなかったとの事で何より。

あなたは『満足・納得』を知っているだろうか【お題に参加】

今週のお題「ベストアイス2023」

 

こんにちは。

いきなり「ベストアイス2023」では無いのでお題から逸れてしまうが、私が高校の頃ハマりまくって高校以来口にしていなくてある時ふと調べたら現在所在が不明なアイスがある。

 

とその前に、同時期にハマっていたアイスがこちらだ。

mognavi.jp

そう、『アイスガイ』。

どうやら既に販売終了してしまったようだが、高校の近くのおばさんが営む小さな商店で部活終わりに仲間達と貪るように食っていた夏が確かにあった。検索して見つけた画像とはパッケージが異なる気がしないでもないが、例えるなら『ガリガリ君ソーダ味』をちょっと大きめの『パピコ風』にしたものだ。シャリシャリ手前のシャーベット具合が乾ききった喉にガツンと清涼を運んできてくれた。これは知っている人が多いのではないだろうか。

そして今、心の中で『アイスガイ』と何回か反芻して20数年の時を経てこのネーミングがきっと『ナイスガイ』から来ているだろう事に初めて気付いた。そうだ。そうに違いない。

 

そして、最もハマったと言っても過言ではないが上記のように調べたらどういうわけか検索(時間にして5分)に引っ掛からなかったアイスがある。

 

その名も『満足・納得』だ。

拙い調査なので調べても出てこなかった故、正確に合っているかどうかわからない。しかしこのおよそアイスのネーミングとしては、いや、お菓子全般としてのこのどうかと思うネーミングセンスは1度聞いたら忘れられないインパクトがある。

それに『納得・満足(ナットク・マンゾク)』と言う響きでは絶対無い自信があるし、近い発音で名前を無理矢理捻り出しても『親族・密告』みたいな間違いを犯したりはしない。

パッケージは堂々と漢字でフロントに印刷されていて、緑色が印象的だった。気がする。

ここまで書いてきて、以前にもこのブログで全く同じ事を書いたかも知れないとアイスを口にしていないのに悪寒がしてきたが、良しとしよう(一応軽くチェックはした)。

アイスそのものはバニラビーンズが目視できる仄かな甘さのバニラアイスを、適度な硬度を保った万人に優しい味のビスケットが両サイドから包み込んだものだ。この絶妙なハーモニーが、まさしく『満足・納得』が得られる美味しさだったのだ。

そう、この説明であなたは下記のアイスを思い浮かべたに違いない。

www.morinaga.co.jp

そうなのだ。

形としてはこの森永製菓の『ビスケットサンド』そのものなのだ。

味も……大差はない。

もしかしたら『満足・納得』も森永製菓なんだろうか。あの『満足・納得』がネーミングを変更して再発売したという事だろうか。

 

と、これを書きながら改めて調べてみると、下記の記事を見つけた。

news.nissyoku.co.jp

……ア、アーモンドチョレートバー??

そんなまさか。

しかし記事をよく見てみると、

森永製菓(株)(東京都港区、03・3456・0112)は、「満足納得〈プレミアムアイスクリームサンド〉」(アイスクリーム、一〇〇円)を2月10日から発売していたが、これに続き「満足納得〈アーモンドチョコレートバー〉」など五品を中高生からヤングアダルトをターゲットに3月17日から発売した。

とあった。

なるほどなるほど。『満足・納得』と言うのはシリーズの総称で、私が吠えていたのはそのアイスクリームサンド版だったと言う事だったのか。きっとそうだ。

残念ながら画像は出て来なかったが、これで『ビスケットサンド』も森永製菓の謎も何となく解けた気がするし、存在も確認できた。

 

……うーん。

確かに画像は出なかったが、結局『満足・納得』は存在がバッチリ確認できて「現在所在が不明なアイスがある」と言う導入が『アイスガイ』を一気に3本押し込んだ位寒い感じになってしまった。

全くもって満足・納得出来ない内容になってしまった(言いたいだけ)。

富士山を舐めてないけない

こんにちは。

 

富士山が山開きしてから、4年ぶりに行動制限が無いとかで連日事故のニュースを伝えている。

普段山登りを趣味としている人にとっては明らかに「山を舐めている」行動による無駄な事故が多いと感じているのではないだろうか。

斯くいう私の実家は富士山の麓にあり、登ろうと思えばいつでも登る事ができる距離感ではあるものの、近い故にガッツリ頂上まで登った事が無いし、登りたいと思ったことも無い。

だがかつて高校の学校行事で途中の『宝永山』まで登るという地域ならではのレクリエーションがあり、学年全員でゾロゾロと向かった経験はある。『宝永山』とは静岡県側から富士山を見た時に右側にポコっと出ているアレだ。富士山は我らのものだと強く主張する一部の山梨勢からすると「あれがあるから美しくない」と言われそうなアレだ。

ちなみにその宝永山が生まれるきっかけとなったのは1707年に起こった「宝永大噴火」という現在に至るまで富士山における最後の噴火だ。先日放送された『どうする家康』において富士の麓で家康が信長をおもてなすシーンでは、しっかり宝永山は生まれていなかった。

ja.wikipedia.org

 

正確には覚えていないが、恐らく5合目まではバスで行きそこから最初は緩やかな山道をワイワイしながらゾロゾロと歩いて行った。

が、そこから宝永山の火口まで多少の勾配があり、それが体力の有り余る尚且つ仮にも運動部の自分にとってかなりハードだった記憶がある。「え、富士山てこんなきついの?」とはあはあ言いながら登った気がするのだ。石がゴロゴロ、1歩1歩がキツかった。

しかし驚く事に、今改めて調べてみると宝永山火口自体はスタートと同じく5合目に当たり、恐らく登ったと言ってもほんの僅かだったに違いない。これを考えると、かなりの安全が確保されているであろう山とはいえ、頂上を極めるのはそう簡単ではないはずだ。

 

帰りは「砂走り」と言う下山ルートを駆け向けて楽しかったが、つい調子に乗ってしまう高校生だ。思いっきり走って本当に足が止まらなくなるのを感じて、恐怖を感じたのを覚えている。

 

微かな記憶で「富士山はめちゃくちゃキツい」と頭に刷り込まれているので、途中まで登ったとも言えない経験ですらもし本当に登る場合は万全の準備をしていきたいと思う。

ただ少し調べれば今の時代いくらでも情報が手に入るはずだ。体調不良云々は致し方ないが、例えばビーサンで繰り出して足を怪我してどうのこうのは、言語道断だ。

 

富士山を舐めてはいけいない。

自転車の違反行為は実はいっぱいある

こんにちは。

 

ちょっとした紹介で自転車の交通ルールに関するお仕事を手伝わせてもらった。

実は意外と知らない事が多い。

歳月が経つと主にルールが変更になっていたりするので、全てを完全網羅している人は実は意外に少ないと思う。学生時代に習ったり、自動車教習所でも学ぶ機会はあるはずだが、正直真面目に学習あしていないだろう。警察側も、各自で学んでくれという姿勢だ。

 

例えば最近Yahooニュースにもチラッと出ていたが、基本的に歩行者を横に退ける為にベルを鳴らしてはいけない。というか、先の見通しの利かない所で自分の存在を知らせる事以外にベルを無闇に鳴らしてはいけない。

自転車走行可の標識が無い所では車道を走らなければいけない。

などなど、わかってはいるが普段ガンガンやってしまう人も多いと思う。

 

そして知らなくてあぁそうなんだと思ったのは、車道に記されている自転車マークの意味だ。

てっきり車道を走る自転車の道筋を提示しているものだと思っていたが(その意味ももちろんある)、あれは本来自動車側に「ここはこのラインで自転車が通るから注意してね」という注意喚起のマークらしい。

これは意外とそう認識している人は少ないのではないだろうか。

道路に描かれた自転車のマーク(自転車ナビマーク)が意味することとは

 

狭い歩道を歩いていて堂々とベルを鳴らして突入してくる輩の多い事多い事。

特に老人と電動自転車に跨った奥様方に多い。

昔接客業をしていた時も、拗らすと1番厄介だったのが老人と奥様方だった。