富士山が見える所に住みたいという願い
こんにちわ。
よく、静岡県(山梨県もそうだが)出身の人は富士山に有り難みを感じなくなる、と聞くが果たしてどうだろうか。
私といえば、正直それに当てはまっていた。当てはまって『いた』というのは、年齢を重ねてく内に若干考えが変わったからだ。
厳密に言うと、生まれた時から富士山の見える地域に住んでる場合は基本有り難みは感じなくなるのはわかるが、例えばその場所から離れて暮らしていた場合偶に帰省した時に富士山に対してどう感じるか……つまりまだ上京してしばらくは帰省して富士山を見ても「あ、雲かかってるから雨降りそうだな」程度にしか感じなかったが、最近は思いの外ついつい眺める時間が増えてしまっている。
上記の記事でも少し言及したが、私の実家の地域は富士山が一望できる。
新しく建物を建てる場合には高さに制限がかかっていて、眺望を損なわない様にしている。
まだ地元に住んでいる頃の富士山の存在というのは、方角を確認する目印でしかなかったし、天気を何となく推測する高い山でしかなかった。
少なくとも私の地元の地域はど田舎である。もちろん車が無いと生活できない。そんな地域に「富士山が見える所に住みたい」という願望で引っ越してくる人が結構いると聞く。現に少し前、実家から見える数10軒の建て売り住宅は全て埋まってしまったらしい。
もちろん色々な事情で引っ越してきたとは思うが、その内何割かは富士山を理由にしてるに違いない。
そこで生まれた人間は、毎日窓を開けて富士山を眺めながらコーヒーを飲む事なんて日課にしていない。だが富士山目的に引っ越してきた人は、その朝が最高だと言う。
歳を取って、実家の環境が恵まれてるのではと思ってきたのだ。
少なくとも「一生に1度は富士山を見てみたい」と思っている人に取っては尚更。
東海道新幹線でわざわざ富士山が見える窓側に座り、写真を撮ったり一喜一憂する人からすれば……いやしかし、毎日当たり前に見えてしまうとやがてそれは空気になってしまうのだが。
関東にいると、何処かしらで富士山が見える所も多数ある。
何処かで「あ!富士山見えた!」と言う声が聞こえる度に、
「よかったね、でも地元は毎日綺麗に見れるよ飽きるほど」
と密かに思っている。
ちなみに、富士山を見に行くなら圧倒的に季節は冬がおすすめだ。天気も良く空気が澄んでいて、雲も無く綺麗見える事が多い。
私の場合、年に2回は実家に帰るが雲がかかって姿を現さない事が多い。
家族から「よそ者が来たから隠れちゃったんだね」と毎回揶揄される。