東日本大震災当日の記憶2
職場へ到着
どうやら大きな地震があった。
それしかわからない状態で、代官山駅から中目黒方面へと歩きを進める。歩いてる途中の街の様子は覚えていない。混乱状態であった事は間違いないと思うが。
当時の職場は飲食店だった。
30分ほど掛かったか、辿り着くとお店自体は普通に営業していた。
まずお店に出ていた店長に遅れた謝罪と挨拶をし諸々を伝えた。例えばグラスや皿が割れたり、お客さんや従業員に怪我があったりと大きな混乱は無かったらしい。従業員が出入りする入り口に向かうと、同じタイミングで同僚と鉢合わせ。お互いの状況を伝えつつ、着替えの為ロッカーに。
同僚も近くまで来たが電車が止まり、そこからタクシーで来たと言っていた。
テレビの映像
この時はまだ私も入り口で一緒になった同僚も『ひとまず東京で大きな地震があった』と言う認識でしか無かった。ロッカーに向かうと何人かがそこにいて、お互いに無事を確認。何があってここまでどうやって来て云々を話したと思う。すると、
「テレビ見てテレビ!」
と、ロッカーの隣の休憩室から誰かが言った。
休憩室には古い小さなテレビが置いてあって普段は誰も観ないのだが、この時ばかりは誰しもがその映像に釘付けになった。
それは、津波によって街が浸食されている様子を生中継で捉えているペリコプターからの映像だった。
私の率直な感想は「映画でも観ている……」と、とにかく言葉が出なかった。全くもって現実感が無かったのだ。
そこにいた何人も同様に、本当に言葉を失っていた。
この時にリアルタイムで観た映像は未だに頭に鮮明に蘇る。
帰りの渋谷駅
事態をうまく飲み込めないまま、お店はその後時間通りに営業していたので私はいつも通りに業務に当たった。
お客さんの話や、休憩中に再度観たテレビや携帯などで東北の震源で東京にも及ぶほどの大地震があったことを改めて知ることになる。
やがて業務を終えてお店を出た。時間は23時30分。
休憩中に何度か確認していたが、当然電車は混乱を極めていて果たしてどうやって帰宅しようか思案をしていた。所謂帰宅難民が何キロも歩いて自宅に帰った、というニュースは後で知る事になる。
この時中目黒駅から渋谷駅まで歩いたか、その時間には少なくともその区間の運行は何とか行われていたかハッキリ覚えていないが、渋谷駅の光景はよく覚えている。
とにかく人がごった返していて、徒競走をやる時の様に駅員がロープで規制線を張っていて、順番に人々を誘導していた。
私が乗り換えの為利用していた京王井の頭線のホームまで当時数100メートルあったが、誘導のもと大きな混乱もなく近くまで辿り着く。井の頭線の改札前にも行列があったが、きっちり並んで統制が取れている。
素直に、日本人は凄いなと思った。
恐らくこの日この時間、JRは全滅だったと思う。しかし京王線各線(少なくとも井の頭線)はその大混乱の中、運行を再開していたのだ。
どれくらい待ったのか。この時お店を出てから電車に乗るまで2時間くらい掛かったか(いつもは15分から20分程度)。
時間は深夜をまわり1時か2時近くだったと思う。もちろん普段なら終電は終わってる時間だ。
私はその日運よく、電車で帰宅の途に就くことが出来た。あの時の電車のアナウンスを忘れられない。
「本日は電車が遅れまして誠に申し訳ありませんでした」
拍手は起きていない。誰も何も言っていない。この時深夜にも関わらず満席だった車内の乗客は、何を思ったんだろう。心の中で拍手喝采していたのではなかろうか。
続く