家、ついて行ってイイですか?
こんにちは。
いくつか録画して観ている番組の1つが、タイトルの『家、ついて行ってイイですか?』だ。
エンターテインメントだし仕込みがあったりするのは当然だろうが、今回はそれに目を瞑るとして、まぁ色々な人生があるものだと感心する。
頑張ってる人を見ると素直に応援したくなるし、苦労を重ねている人の人生に感動したりする。
自分以外の人生を知るのは面白い(ブログも同じ事が言える)。道ですれ違っただけの人の人生を知れるのは皆無だからだ。
けど本質は、どうしても他人と比べてしまう人間の心を番組が代わりに可視化しているのではないか、という歪んだ見方もしてしまう。
例えば「あの人よりはまだマシだな」とホッとしたいとか。
……と、そう思ってしまう所が私が人間として4流である事の証明でもあるのだが、何かに没頭してその為にそれこそ命をかけて生きている人は、他人なんてどうでもいいはずだ。
自分もそうありたいと思ってはいるが、これがなかなか……。
側から見れば優雅でいかにも幸せな生活をしている様でも、その実情は本人にしかわかり得ない。今は誰でも情報発信ができる時代だから、他人が目につく様な批判もバンバン匿名で発言ができてしまう。常に何処かに目の敵がいないと、パンクしてしまうという事だろうか。
番組を見ている時、時々、考える。
もし声を掛けられたらどうするか。
一緒に観ている妻とも話すのだが、結論としては「すみません、急いでるんで」。
何故なら私も妻もこれと言ってドラマチックな人生を送ってきていないし、物語になるような悲劇もこれと言って無い。住んでいる地域も借りている部屋も特殊でもないし、家族に有名人も居ない。
2人共テレビ映えする面白いキャラクターでもないし、学校ないし家庭もないしヒマじゃないしカーテンもないし……。
正直に言うと妻との出会いは偶然が重なって割と数奇なベンジャミンバトンを感じるが、テレビで晒されるのは恥ずかしい。
そう考えると、声を掛けられて断る人の内何割かは番組をよく観ている熱心なファンではないだろうか。家に着いて行くことを許可してくれる人は「あ、知ってる知ってる〜」とテンションが高いせいぜい『番組名は知ってる』程度の人が多い気がする。
とは言え割とどんな人でも『何か』は出てくるものだ。
その価値は、他人しかわからない。