kumorinekoの雑記

東京在住、とりあえず始めます。

電車であまり眠れない

こんにちは。

 

今日ある用事で長い時間電車に乗っているのだが、そういえばこういう場合あまり眠らないなとふと思った。

理由は単純で、目的の駅を寝過ごしてしまうかもしれないという心配が常に付き纏うからだ。

ただ仮に眠ってしまっても、深い眠りでなければ案外目的の駅で目が覚める事も知っている。

 

ちなみに『時は金なり』とは言うが、急ぎで無いのならゆっくり各駅停車で目的地に向かうのは苦ではない。

ドラゴンボール』でかつて、悟空の所に向かう際人造人間17号が自ら飛んで行った方が遥かに早いのに車でゆっくり行こうと提案して18号に嗜められた時に、「そのムダがいいんじゃないか」と結局車で行く事になったシーンがある。

めちゃくちゃ共感できたのだが、これは私だけだろうか。

 

生き急ぐ事ないのに……と、のんびり気質な私はそう思ってしまうが、そんな事言ってる内に短い人生が終わってしまうのだろうか。

ここ数年の喫煙者の哀愁

こんにちは。

 

私は昨今において忌み嫌われる喫煙者であるのだが(しかも紙タバコ派)、近くで非喫煙者がタバコのにおいがするだけで嫌悪感を抱く気持ちは十分に理解できる。

路上喫煙も不快だし、ポイ捨てなんて以っての外だ。

 

だが、ドラマや映画やアニメにおいても表現としてのタバコを規制しているらしい風潮はよく理解できない。現に最近のそれらには意識して避けている為か、タバコを吸っている場面はほとんど見かけない気がする。90年代のドラマなんて、みんなボンボン当たり前に吸っていた。

タバコ=カッコ良いという昔の幻想は今だいぶ時代遅れである事も理解できる。だが、作り物の中に吸ってる人がいて、視覚的に不快になる人がいて、視聴率が下がるのだろうか。そのキャクターを嫌いになるのだろうか。吸っていない人物が急に吸っていた設定でタバコを吸い始めたら苦情の電話が来るのだろうか。

 

各駅の近くにようやく増えてきた喫煙スペースのボックスに、喫煙者は煙モクモクの中突っ込んで行く。場所によっては、ガラス越しになっていて晒者の様な気分になる。

非喫煙者からすれば檻に入れられた動物を見ている気分だろうか。

これはあくまで私が今住んでいる東京での話だが、大阪に行った時は街に置いてある灰皿の数に驚いた。大阪はなんて喫煙者に優しい街だと思ったものだ。

 

喫煙者はまず、何処に行っても喫煙スペースがあるか無いかを確認する。

例えば同行者がいる場合、館内図やテーマパーク全体の地図で諸々確認する時にあのマークを真っ先に探す。

街を歩いている時、灰皿を見つけると「お!灰皿がある」と喜ぶ。

たまーに見かける自動販売機が多数置いてある喫煙の為だけのスペースを見つけると(大概滞在条件はジュースを1本買うとか)、スペースを作った責任者を神かと思う。

 

なるほど、滑稽だ。

 

吸わない人からすると実に虚しい人種なのかよくわかるが、やめられないんだな、これが。

『百害あって一理なし』という言葉も深く理解している。

ニコチン中毒になっているだけという事もわかっている。

こうやって改めて考えると、そんな思いまでして吸ってる自分がアホかと思う。

 

そう思っていると今、タバコを吸いたくなる。

 

アンコール・ワット遺跡群で最も良かった遺跡

こんにちは。

 

お題に参加した下記の記事の追記。

 

kumorineko.hatenablog.com

1日目に自転車で周回できる範囲で有名所の遺跡を堪能した次の日か、その次の日か。

確かシェムリアップにはトータルで1週間くらい滞在していたはずだ。

地球の歩き方』やバンコクの旅行会社にも、ある遺跡が『ラピュタの世界観そのもの』という謳い文句の日本人なら恐らく反応してしまう触れ込みで紹介されている有名な遺跡があった。

それが『ベンメリア遺跡』だ。

ja.wikipedia.org

私の場合、10年以上も前の情報だ。

最新の状態とはかなり差異があるかもしれない。

しかし最初に言えることはもしアンコール遺跡群を観光しに行くのであれば、

絶対に見にいった方が良い。

日本も含めて写真は抜群に良いが現地に行ってみると意外とショボかった、なんて観光地は世界中にあるが、ここは写真も良いし実際の現地も素晴らしい。

正し所謂有名どころの遺跡よりはだいぶ郊外にある為、現地のツアーなんかに参加する必要がある。タクシーなどでもいけると思うが、数人でバスのツアーに参加して料金を分割するのが1番安く済む方法ではないかと思う。

 

私は、ベンメリアには行きたいが果たしてどうやって行こうかと考えていた時、同じ宿のドミトリーで数人の日本人(すでに何泊かしている内にコミュニティーができている)がベンメリアのバスの事について話してるのを小耳に挟んだ。

その時まだその宿に着いてすぐだったので人見知りの私は話に参加できずにいたが、この期を逃すまいと思い切って「あの……ベンメリアに行くそのバス、まだ席空いてますか」と話し掛け、空席に余裕があったので仲間に入れてもらった。事前に知り合っていたK君にも声を掛け、総勢10人程でバスを予約し、念願のベンメリアに行ける事になった。

ちなみにそのツアーの申し込みは泊まっていた日本人宿で手配出来たはずだ。食堂もあり、メニューは完全に日本人向けの唐揚げ定食など、とても居心地が良かった。基本食べ物は現地の食べ物を食べるのだが、数日の間に1食位は日本食が食べたくなる。

そういえば宿の従業員だった快活な少年と少し仲良くなったが、色々な話をする中で(彼は日本語が少し話せて、私も本当に少しだが英語のヒアリングくらいはできる)いつか日本に行って生活をしたいと言っていた。彼は10数年経った今、夢を叶えて日本の何処かにいるのだろうか。

 

時間になり宿の前に集合して、バスが出発した。

およそ2時間くらいだったか。ベンメリアに近づくにつれ、周りには何も無くなっていった。

 

ここからは特に断片的にしか覚えてないので参考にならないとは思うが、入り口の狛犬の様な石像を抜けて、そこからは完全にフリーだった。

ガイドも付けていないし、逆に言えば自由に歩き周れたのだ。というか、どこが正式な入り口なのかも良くわからなかった。まず何となく正面突破を試みて、それが崩れた遺跡の石を少年の頃の様に登って行ったのだ。

そのまま高いところまで行き、数メートルの高さがある所をジャンプしながら、時には助け合いながら遺跡内をぐるぐる周って行った。落っこちたら完全に怪我をする高さだった。

今現在のベンメリアの写真を見ると遊歩道が作られているが、当時はあんな立派な物があっただろうか。単なる記憶違いで存在していたか、まだ作り途中だったか、無かったか。

とにかく、自由だった。その時は他の観光客もいなくて、現地の子供は中で遊んでいたがほぼ貸切状態だった。

 

ベンメリアの良さは、何というか、多分廃墟を美しく感じるのと同じ感覚だと思う。発見に至る背景や諸々の事情でそうなってると思うが、あまり手入れがされていないのだ。

つまりそれは長い間人間が存在せずしかしありのまま残っていたラピュタの世界観に通じるわけだが、その触れ込みはあくまで分かりやすく伝えるための比喩なので、あまり鵜呑みにしない方が良い。

ただ(今はあるかもしれないが)順路は特に無かった為、え?こんな所入っていいのかなという所まで観光できたのは若かりし私にとっては素敵な体験だった。

いつか崩れまくっている石などが整備されて、完全観光客向けな遺跡になるかもしれない。そうなる前に、1度行くことをオススメしたい。運動靴は用意しておいた方がいい。

 

異国にある忘れ去られた異空間のような遺跡、そんな『ベンメリア遺跡』。

タモリ倶楽部が終わってしまう

こんにちは。

 

たまたま先日こんな記事を投稿していただけに、タイミングが良すぎるというか何というか。

 

kumorineko.hatenablog.com

第一報を見た時は、えっ!と思わず声が出た。

マニアックな番組だけに、タモリ倶楽部マニアも日本中に沢山いるだろう。未だ出ていないDVDの発売はどうなのか。切に願う。

けど今の若い子は観ないんだろうな。

 

番組終了でふと思い出したのが、かつて日本テレビ系で放送していた『BLT』というバラエティ番組だ。

ja.wikipedia.org

当時まだ地元静岡で学生だったが、何となく面白いなぁというくらいの感覚で観ていた。

斬新で面白い企画をユルくやっていた記憶はあるが、明確には覚えていない。

しかし、その番組の最終回はVHSに録画しており何度か観た為よく覚えているし、もしかしたらバラエティ史上最高にカッコ良い最終回かもしれない。

 

最終回の頃には元々島田紳助大竹まことの司会だったのだが、大竹まこと板尾創路東野幸治に代わっていた。

その最終回の番組内容はなんと、最終回の番組内容のリハーサルを流し続けるのだ。

スタジオで大竹まことが台本を持ちながら進行の確認をしているが、そこに板尾と東野の姿はなく、遅刻をしている。何だよあいつらは〜と言いながら、遅れている2人の代わりをスタッフが務め確認を続けていく。

やがて遅れてきた2人が合流するのだが、大竹まことはしっかりスーツを着てるのに対し、2人は私服。適当に流しながら、3人で確認作業が続く。

東野は途中その場からサッと居なくなったと思ったら、脇にある灰皿に向かいタバコに火をつける。そこでタバコを吸いながら、自分のセリフの時にまた戻り、終わったらまた灰皿の所に戻りを繰り返しながらリハーサルを続ける。

 

オープニングトークのリハーサル終了後、今度はスタジオにBLTファンの素人を呼び、『私にとってのBLT』みたいな作文を読ませるコーナーのリハーサル。

この辺りでスタッフの段取りが悪かったらしく、当時恐らく裏方の木村祐一が出てきて、「お前らちゃんとしとけコラ!!」と怒鳴り散らす。まぁまぁ、と大竹まことが宥める。

3人くらいの素人が実際に作ってきた作文を順番にマイクに向かって喋るのだが、ある男性のくだりで大竹まことが軽いイジリのつもりで放った掌底が見事にヒットし、掛けていたメガネも破壊してしまう。うわわわ、と苦笑いの東野の表情をカメラは捉えていた。その男性もオロオロしながら大丈夫ですと言い、大竹まこともハイ、オッケーです!の後に「ごめんね」と謝った。

別の男性の時、番組の総括みたいな見事な感想文を披露しスタッフからも笑いが起こり、思わず木村が出てきて「え、これ本当にあなたが書いたの?」と内容を絶賛されていた。

 

そんな感じでナレーションもテロップもなくリハーサルをひたすら流し続け、いよいよ本番になる。

司会の3人がしっかりした衣装に着替え、番組スタート。

3人で軽いトークをした後大竹まことが、

「BLT最終回、始まります」

 

ここでブラックアウト。BLT ENDの文字が映し出される。

 

こんなカッコいい構成は後にも先にもあっただろうか。

所々記憶違いはあるかもしれないが、当時「何だろうぁ、これ」と不思議な気持ちで観ていて、最後に「始まります」といった後の終わり方には痺れた。

最終的に、収録したであろう本番映像を見せないカッコ良さ。

今観ても斬新だ。

 

もうずいぶん前から、「テレビは終わった」「テレビつまらない」「テレビは見ない」「昔の方が面白かった」と言われている昨今。

どうなんだろうか。

色々な要因があるとは思うが、もしこのまま昔のテレビを知らない人達がやがてテレビを作っていく中心人物となっていくのなら、その先は少し暗いのかもしれない。

 

「テレビが面白かった頃」と言われる時期(あの頃はテレビしかなかった)に多感な青年期だった年代のおじさんには、そう思えてしまう。

アンコール・ワット遺跡群を自転車で周回した話【お題に参加】

今週のお題「行きたい国・行った国」

 

こんにちは。

 

行った国、という事でかなり前(10数年前)になるが、カンボジアの『アンコール・ワット遺跡』がどうしてもこの目で見たくて、1人旅をした事がある。

タイにも行きたかったので、まずはバンコクに行き、そこからバスで遺跡があるカンボジアシェムリアップまで向かう計画を何となく立てた。日程は2週間ほど。

何となく、というのは当時バックパッカーに憧れていて中国(この時は2人)、インド、ネパールと1人旅をほんのちょっとした経験からその場その場の成り行きに任せた方が面白いと思ったからだ。

※以下でも少し触れてます

kumorineko.hatenablog.com

格安バスでバンコクシェムリアップ

どこかで改めて当時のタイのバンコクの話も触れたいと思うが、とにかく居心地が良くてカンボジアに向かう前に思ったより長居してしまった。

基本的に宿は日本人が集まる所謂『日本人宿』のドミトリーに泊まることが多い。

地球の歩き方』には載ってない生の情報を聞けるし、色々な人の話が聞けて参考になるし、安いし。とにかく私にとっては良い事が多い。

 

何日かバンコクで過ごした後、現地の旅行会社で無事シェムリアップに向かうバスのチケットが取れた。格安バスのチケットだ。

出発当日集合場所に行くと、欧米人に混ざって各々単独で来ている日本人とも会った。バスは超満員。補助席に至るまで満席だ。詰め込む詰め込む。幸い席には座れたのだが、身体の大きい欧米人だとただでさえ小さなシート、私が成り行きで座った席は1番後ろで5人が限界の所を7人くらいで押し込まれていた気がする。

最初はお互い気を使っていたが、その内隣の欧米人の腕が自分の肩に常に乗っている状態になり、私の肘も彼の肩に乗っている様な状態になった。

もうどうでも良かった。

そのままボッコボコの土の道を途中休憩を挟みつつ延々10時間程か。日本の道はどんなに田舎でも基本アスファルトで整備されている事の凄さを身を持って感じた。

バスの中に若いタイ人もしくはカンボジア人と思われる青年が添乗員として乗車していて、頑張って覚えたのであろう英語で明るく挨拶や何かしらの説明をし、話を終える度に車内から拍手が沸き起こった。詰め込まれた硬い椅子で全身が痛くなったが、その瞬間は車内全体がほっっこりしていた。

自転車という選択

私の(少ない)経験上、得に東南アジアなどの場合格安の移動手段を選んだ場合は大概同乗者と同じ辛い経験を通して仲間意識がほんのり生まれる。

目的が一緒という事もあり、バスに同乗していた日本人と行動を共にする様になった。出発前や休憩中にチラホラ話していた内の1人、K君だ。

何となくここが良いかな、と思っていた日本人宿に向かい、チェックイン。仲良くなった日本人がもう1人いたのだが、彼は元々別の宿を予約していて、後日一緒に食事をする約束をして別れた。

ドミトリーを選択し部屋に行く。30畳程の部屋にベッドが10個くらいある。空いている所に案内され、荷物を降ろす。宿泊客は全員日本人。すでに何泊かしている人もいるのだろう、各々でコミュニティーができている。私は人見知りなので、最初はせいぜい軽く挨拶をする程度だ。

アンコール・ワット遺跡群』は、遺跡群と言う様に広大な面積に膨大な数の遺跡が点在している。よく写真で紹介されている有名どころはそのほんの一部でしかない。

どう周るかは個人によるが、一般的には車移動かトゥクトゥクというバイクタクシーみたいなものかツアーに参加してバスで周るかが多いと思う。何しろ広大だ。

そこで私とK君は宿で自転車を借りる事ができると聞いていたので、その場のノリで自転車を選択した。『歩き方』の地図を頼りに、よくわからない土地をひたすら遺跡目指してペダルを漕いだ。

遺跡へ

かなりの距離を漕ぎ、まずはお目当ての『アンコール・ワット』、有名どころの1つ『タ・プローム』『アンコール・トム』などを周る。それぞれ中々の距離があったと思う。遺跡も、写真や映像で見るより何倍も良い。

ただその中で特に気に入ったのが、途中で迷い込んだ道の先にあった『門』(正式名称は失念)だった。え?この道であってる?と言いながら辿り着いた場所だった。両サイドが土で盛り上がり木が生えていて森になっており、観光客の姿など全く見かけない。

現地の子供が数人遊んでいる。なんと彼らは盛り上がった土を登り、門の上まで軽々と到達しているではないか。それを見た私とK君は自転車を止め、その門の頂上付近で写真を撮りたいと思った。今思えば罰当たりな事かもしれないが、若気の至りというか。

高さは10メートル程か。まずは私が試みる。K君は下でカメラを構えている。

いざ門の上まで来ると、下で見ていた景色とは180度違う。門の上の中心に行く為には、いつ崩れるかわからない足場を数歩進まなければならない。歩幅は30cmに満たない。もし足を滑らせて落ちたらただでは済まないだろう。ましてや異国の誰もいない様な場所。

「うわ!ちょっと待って!やばいやばい!」

そう叫ぶ私を、K君はケラケラ笑う。見守っていた現地の子供数人もそれを見てキャッキャと笑っている。私は本気で死を覚悟した。こんな事しなければ良かったと心底後悔したが、ここまで来たならと腹を括り、必死に中心まで辿り着き鎮座して目を閉じ合掌してポーズを決めた。

行きと同じく必死の思いで戻り、K君と交代。「またまた大袈裟なー」と笑っていたK君も数秒後には全く同じリアクションをしたのだった。

恐らく自転車で周回していなければ辿り着かなかったであろうその場所。地図に名前は載っていたが、写真などで紹介されている様な所では無かったはずだ。

10年以上も前の事なのに、今も強烈に頭の中に残っている。

気がつけば夜

とにかく広大だった。朝出発したと思うが、何やかんやで辺りは暗くなりそろそろ宿に戻る事になった。一応有名どころは一旦は抑えたが、まだまだ行きたいところは無数にあった。

しかし途中え?これも遺跡?という所も自転車を降りて観光できたし、何より自由に行動できたのが1番良かったと思う。

まだ若かったから楽しめたのであろう。

自転車で周遊という選択肢は少数派なのだろうか。わからない。

けど森に囲まれた遺跡群を辿る道は美しく、日本で言えば軽井沢をサイクリングしている感覚だろうか(未経験だが)。

もしこれから『アンコール・ワット遺跡郡』を観光したいと考えている人には、自転車周遊を自信を持ってオススメできる。未知の体験ができるに違いない。ただし少し体力と気力が必要だが。

 

宿に戻ると、近くで中々の装備をしている自転車を点検している日本人を見かけた。

話しかけると、

「さっきようやくシェムリアップに着いたんですよ」

と爽やかに言った。どうやら彼は、東南アジアを自転車で周っているらしい。私と同じ様にタイ方面からここシェムリアップに来た様だ。

 

……なんかその、自転車でアンコール・ワットを周ってやったぜ!という高揚感が一瞬の内に吹き飛んだ。

 

山野井泰史という生き方

こんにちは。

 

私は心から尊敬している人物が数人いる。

その内の1人が山野井泰史という登山家だ。登山界では世界中で知らない人がいないくらいの、レジェンド中のレジェンドだ。

登山が趣味では無いし、山登り自体ほぼした事がない。なので山野井さんを知った経緯は登山関連ではない。

誰でも1度は思索した事があると思うが、一時期『死ぬ瞬間とはどうなるのだろう』とぼんやり考えてた時期があった。別に心が病んでいたわけではなく、死ぬ間際の人間の状態というか、心理というか、今後必ず身に起こる時の為の知識として知っていたかったからだ。

 

いきなり山野井さんとは少し話が逸れてしまうが、同時期に下記の本を読んで興味深い記述があった。

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どちらも異なるシチュエーションで極限状態から生還したノンフィクションだが、2人共その死の狭間で『突然クラシック音楽が頭の中で鳴り響く』という奇妙な体験をしているのだ。

しかも双方とも普段からクラシック音楽を嗜んでいた訳ではなかった、と記憶している。もちろん幻覚も見ている。サンプルが少ないとはいえ単純な私は、本当に死に直面した人間の何かの能力がそうさせていたのではないか、という浅はかな感想を抱いた。

 

常に死と隣り合わせの人間、辿り着いたのが山野井泰史という人間だった。

登山やクライマーについて専門的な知識が乏しいので多くは語れないが、『登山』と一口に言っても登り方や登る山や登る季節や様々な条件で難易度やスタイルが大きく変わる。

より少ない装備、より少ない人数、より到達困難なルートでの頂上到達がクライマーとしての価値と言える(間違ってたらすみません)。

つまり究極は、たった1人で裸一貫でその山における最も厳しい季節に最も困難な誰も開拓した事が無い新ルートで頂上を極め生きて帰ってくる事になる。

山野井さんはある時期それに近い事をやり遂げ続け、世界最強のクライマーと言われていたと同時に、世界で最も天国に近いクライマーとも呼ばれていた。

 

私が山野井さんを尊敬してやまないのは、言葉を選ばすに言えば『完全に頭が狂っている』所だ(とかく所謂『山屋』は基本的に狂っている人達の集まりだと言われるが)。

「なぜ、山に登るのか。そこに山があるからだ」というジョージ・マロニーの有名な言葉があるが、山野井さんは足の指先から脳味噌の奥まで単純に登ることが好き、という思考を体現している人物なのだ。

「登山というものを知ってから、常に発狂状態にある」とご自身が語っていた言葉だが、小柄で柔らかい人柄とは裏腹に、狂気を感じさせる言葉にゾッとする。

ある時夫婦(ちなみに奥さんの妙子さんも世界トップクラスのクライマー)で挑んだヒマラヤの山で、三途の川に首先まで浸かったもののギリギリで生還した出来事があった。夫婦共々両手両足の指のほとんどを切断せざるを得ない状況に追い込まれた結果になったが「あれは良い登山だった」と言い切る顔に強がりや驕りは全く感じない。

※下記はその時の様子が詳しく書かれた名著。登山や山野井さんの事を知らなくても読み物として面白いので是非。

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贅沢な暮らしをしているわけではない。山野井夫婦の実績から考えれば、やり様によってはある程度豪勢な暮らしもできるはずだというのに、生活の全てを登る事にベクトルを向けて捧げている。そして達成困難な事をやり遂げ、ひけらかすこともなく自己満足をし、また次の目標に向けて目を輝かす。

※少しでも興味を持って頂けたら以下もオススメ。

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そんな山野井さんが本当に羨ましいと思った。心から好きな事を自らの努力で掴みにいってる人だと思ったのだ。一点の曇りもなく、心の底から自分の好きな事に打ち込む人間はとても魅力的に映った。

 

山野井さんが数ヶ月に1回更新していたブログがあったのだが、最近全く音沙汰ないなと思っていた矢先だった。

jinsei-climber.jp

しまった。

映画の存在を知ったのは2月頭。山野井泰史という人物を心から尊敬していると吹聴しているのに、これを劇場で見逃してしまうなど愚の骨頂だ。唯でさえメディア出演が少ない故、これは貴重な記録でもある。何とかして劇場で観たい。

残念なことに歩いて行ける距離の映画館で上映されていたそうだが、惜しくも既に終了していた。しかしそんな哀れな私を救ってくれた素晴らしい映画館が近場(家から1時間半)にあったのだ。

cinema-neko.com

ここは、何というか映画館そのものが素晴らしい。

今回初めて存在を知ったが、もし上映作品で気になるものがあってそう遠くない距離であれば、1度足を運ぶ事をお勧めしたい。

元々知る人ぞ知る人物である為か、私と妻(以前に本を強引に読ませたら興味を持ってくれた)を含めて観覧者は5、6人しか居なかった。いや、いい。そんな事は関係ない。

映画はというと、山野井さんの人生をある程度まとめたドキュメンタリーであるわけだが、直近の貴重な映像も数多くあって満足度は高かったものの、如何せん過去と現在が行ったり来たりし過ぎていてドキュメンタリー映画としては不満が残るというのが正直な感想だ。

 

あらゆるジャンルで、好きな事に対して狂気を孕んで打ち込んでる人は多くいると思う。

だがその好きな事が物理的に死に結びついている人はその数を大幅に減らすので無いだろうか。

映画の中で何故そんな危険な事を続けられるのか的な問いに、

「なんか……すごいんだよね……あの達成感は」

と言っていた。その目、その顔つきは、本当に成し得た者にしかわからない境地に達した人だけが辿り着ける答えの様な気がした。

 

今まで私の人生であんなにも熱狂できるものがあっただろうか。

今後見つけられるだろうか。

本当の達成感は得られるのだろうか。

 

山野井泰史という生き方に、改めてある種嫉妬と畏敬の念が入り混じる。

有名人で1番お洒落だと思う人

こんにちは。

 

昔からついつい目が惹かれるファッションをしている人がいる。

何かこう、理屈じゃなくパッと見た瞬間「おしゃれ!」と頭が反応する。

私も多少は服が好きだ。20年以上好きなブランドはあるし、世代的な事もあって古着派だ。

おじさんなりに年相応の格好をしたいとは思っている。

 

その人物は、イラストレーターの安西肇さんだ。

ja.wikipedia.org

常に安西さんの動向をチェックしてるわけでは無いので限定的にはなるが、正確に言うと『空耳アワーに出演している時の安西肇さん』だ。

私の勝手な予想だが、あれはスタイリストは付けていないのではなかろうか。

となると、ご自身のセンスなのかご家族のセンスなのか。

 

偉そうに言える程ファッションに明るくないが、何より全体的な配色が素晴らしい。

帽子を被っている事が多いが、帽子のチョイス、それに合わせた靴に至るまで抜け目がない。

単なるセットアップのジャージと思わせておいて、小物でお洒落を演出してくる。

 

最近は『空耳』のコーナーが年に数回になってしまってとても残念だ。コーナー自体も好きではあるが、私にとって『空耳』は安西さんのファッションコレクションのコーナーでもあったからだ。

これからもお元気で、独特なあの笑いと共にキレのあるスタイリッシュなコーディネートを見せてもらいたい。

 

1度だけ、渋谷駅でお見かけした事がある。

「あ!安西さんだ」と一瞬で視界に入り、すれ違う背中を目で追っていた。

あの時の私の眼差しは、若い女性が韓流アイドルを見つめる眼差しの如くキラキラに輝いていたに違いない。

唐突で舞い上がっていたのか、どんな服を来ていたのかは覚えていない。

 

 

どんな理由かは分かりませんが、何故かここ数日で読者登録してくれた方が急に増えました。

少しでも目に止まるような最後まで読める記事が1つでもあれば幸いです。

この場を借りて御礼申し上げます。