kumorinekoの雑記

東京在住、とりあえず始めます。

部屋に花を飾る事

こんにちは。

 

花を頂く機会があって、今私の部屋には小さな花瓶に無造作に飾られた花が彩を与えている。

貰ってきてきて1日は何もしなかったので萎れてしまったが、これはマズイと一通りの処理を施し花瓶に添えると、半日足らずで元気を取り戻した。

花瓶は昔何かのきっかけで購入したものがあった。

 

普段花など飾らない殺風景だが物が多いごちゃごちゃした部屋ではあるが、例え物凄く派手でなくとも花があるだけで気分が違ってくるのは何故だろう。

人を惹きつける魅力がある人を『華がある』と最初に表現した人はよっぽど感性が豊かだったに違いない。

 

映画『レオン』で、人間関係他不器用な殺し屋レオンの心を許せる唯一の友達は観葉植物だった。『アグラオマネ』と言うらしいが、それを観た当時は何となく観葉植物に憧れを抱いたものだ。

 

花に話しかけると良く育つというのは本当だろうか、と調べると、どうやら科学的根拠はまだ希薄だったり諸説あるようだ。だが『聞く』能力はどうやら存在する様なので、汚い言葉は花にとってマイナスになるだろう。

けど『マイナスの言葉』なんて結局人間が考えた概念であるだろうから、そんな聞き分けすらもできるのだろうか。

 

そうか、クラシック音楽ならば間違いないだろうと一瞬思ったが、そういえばクラシックの音源は1枚も持っていないなと思った。

YouTubeでは雑音が多すぎる。

PARCO劇場へ

こんにちは。

 

昨日渋谷のPARCO劇場にて、三谷幸喜氏の『笑の大学』の舞台を観劇してきた。

妻が作品の大ファンで、再舞台化を知ったのは最近だったが運よくチケットを取る事ができた。

舞台役者をやっている友達の舞台は何度か観た事はあるが、プロの舞台は初めてだった。

館内は満席。出演者は2人だけというやや特殊な喜劇だが、プロフェッショナルの芝居を堪能できた。

 

舞台の詳しい感想はどこかに譲るとして、PARCO劇場における席について少し。

 

私達の席はIの15、16だった。

最前列のA席から数えて9席目、大きく3ブロックに別れている真ん中のブロックだ。

zaseki.music-mdata.com

事前にこの劇場は割とどの席でも観やすいと評判だったがその通りで、I席は舞台から程よい距離にあり、舞台全体を見渡せ、尚且つ裸眼で0.5程の視力の私でも眼鏡無しでも俳優の表情まで見えた。

前列ともそれなりに段差があり、よっぽど座高が高い人物が前に座らない限り気にならない。

ちなみに私(も妻も)小柄で、ライブや映画鑑賞の時はいつも前の席の座高に悩まされる。

実は今回もたまたま目の前に座高の高い男性が座っていて舞台が始まる前は「またか……」と思ったが、始まって客席が暗くなるとそんなに気にならなくなった。

 

I席での距離感を考えると、恐らく3列後ろのL席でも割と舞台と近い距離に感じるはずだ。

ただそこまで来るとかなり舞台を見降ろす形にはなる。

 

劇場自体はとても綺麗で、トイレも広くロッカーも完備(100円入れて返ってくるタイプ)、喫煙所まであるのが嬉しい。

何かを観劇するなら、とても良い劇場だ。

 

ところで渋谷自体久しぶりだったが(しかも土曜日)、以前にも増して外国人の姿が目立った。インバウンドで観光客が戻ってきたという事だろうが、欧米人やらアジア人やら、何処に行っても外国語が飛び交う世界。

少し無法地帯になっている場所が増えている様な気がした。

プロの将棋の世界における『順位戦』について

こんにちは。

 

ここ数年の藤井聡太5冠の活躍で将棋に少しでも興味を持った人が増えたと思うので、将棋の世界における『順位戦』というものについてなるべく簡単に分かりやすく説明したい。

何となくニュースでこの言葉を聞いた様な気がするが、それって一体何?と思ってる人向けだ。

尚、諸々誤りがある可能性もあるかもしれないので先に謝っておきます。間違ってたらすみません。

 

下記でも言及しているが、プロ棋士は基本現在あるタイトル8つ、全棋士参加棋戦の予選を日々戦っている。

kumorineko.hatenablog.com

それぞれのタイトル・棋戦によって形は異なるが、大凡は1回負けると終わりのトーナメント方式だ。勝てば勝つ程対局は増えるし、上がっていけば行く程強豪とぶつかるのが必然だ。

 

その中で『順位戦』とはつまり、タイトルの1つである『名人』の予選なのだ。

8つタイトルには序列が存在し、歴史的に見ても『名人』は最高峰(もうひとつは竜王)に位置する、プロ棋士が目指す目標の頂点とも言える。

この『名人』の予選『順位戦』は他のタイトル予選とは一線を画し、自分がどのクラスにいるかで収入にも直結する。要はクラスによって給料が大幅に異なるのだ。

クラスは下からC級2組、C級1組、B級2組、B級1組、A級と5クラスあり、A級とB1は定員が決まっている。A級は10人で、B1は13人。130人程いる棋士の中で、このクラスに在籍している20名程が時のトップ棋士と言える。

以下クラスの現在の人数はB2が26名、C1が33名、C2が56名。

サッカーに明るい方は、J1がA級、J2がB級1組〜と考えると分かりやすいと思う。

 

まずプロ棋士になると自動的にC2のクラスに入る事になる。A級とB1はそのクラスに在籍している棋士と総当たり戦を行うが、B2以下は割り当てられた相手と約1年(6月から始まり3月まで=1期)を通して10戦行う。

B2、C1、C2は、成績上位3名が上のクラスに行くことができる。

B1は上位2名がA級へ。

A級での最高成績を収めたたった1名が名人に挑戦できる。

飛び級はないので、どんなに優秀でも1年に1クラスしか上がれない。

可能性としての話でしかないが、他のタイトル戦は勝ちまくればタイトル保持者に挑戦権獲得後、タイトルを奪取することは1年目の棋士でも可能ではあるが、こと名人戦においては最速で5年掛かるのはこの為だ。

最速5年で名人獲得まで達成した棋士はいないので机上の空論でしかないが、制度上ではそうなる。

というか、タイトル獲得程ではないが、B1やA級に1期でも在籍する事ができる棋士も限られる事になる。ましてや上位クラスに何十年も在籍するなど、トップ中のトップ棋士にしか成し得ない偉業だ。

何故なら当然上がる者もいれば、落ちる者もいるからだ。

少しややこしくなるので簡単に言うと、まずA級は2名、B1は3名がその期において成績下位が1発で落ちる事になる。

C2、C1、B2はそれぞれ成績下位(その時の在籍人数によって人数に変動あり、大凡6人〜10人)に『降級点』と言ういわばペナルティが付き、C2は累積3回、C1とB2は累積2回で降級となる。つまり降級を免れるチャンスがあるわけだが、A級とB1にはそれが無い。1発とはそういう事だ。

『降級点』は挽回するチャンスが設けられいるのだが、あくまで簡単にということでこの辺りの説明は省く。

そしてC2で『降級点』を3回累積してしまうと『順位戦』の参加はできなくなり、フリークラスという所に所属することになる。

ではフリークラスになったら復帰できないかと言われるとそうではなく、ある一定条件を満たすと再びC2に復帰できるのだが、こちらも説明を省く。

 

ここまでをまとめると、

・『順位戦』はタイトル『名人』の予選

・『順位戦』のクラスは5クラス

・『順位戦』は昇級と降級がある

・『順位戦』のクラスはプロ棋士において重要な肩書

 

ざっくりこんな所だろうか。

ちなみにここまで読んで下さった方で将棋に明るい方は「一番重要な所言ってないなこいつ」と思われるかも知れない。

それは、何故『名人戦予選』という名前ではなく『順位戦』という名前なのか、そしてその醍醐味だ。

長くなってしまうのでその辺りはまた今度に譲るとして、兎にも角にも『順位戦』というのは色々な意味で棋士にとって重要なのだ。

他の棋戦を捨てて、『順位戦』に全勢力を注ぐ棋士もいるだろう。

 

ちなみに羽生さんはA級に登り詰めるまで8年掛かり、A級に連続での在籍が29年だ。

藤井5冠は5年でA級、今期名人挑戦まであと1歩という所まで来ている。

数年前、羽生が名人だった頃の冗談が『順位戦』という制度を知ると恐ろしくも笑える。

 

「A級に落ちると大変なんですよ」

 

A級に”落ちれる”のは『名人』たった1人しかいないのだ。

車を運転するのが好き

こんにちは(こんばんわ)。

 

私が免許を取ったのは20歳か21歳の時、田舎出身なので地元では18歳になった時に取る人も多いが、そのタイミングで落ちないと評判の原付の免許を1度失敗し、結局東京で取った。

当時友達と車で出掛ける計画が持ち上がった事がきっかけで、1ヶ月間通いであえてマニュアルで無事車の免許を取得した(最後の試験で1度落ちたが)。

取得直後にその車(友人の父親の車)での旅行に出掛け、途中で交代をしてもらって、本当の車デビューを果たした。どれくらい走っただろうか。少なくとも帰りに茨城から東京まではぶっ続けで運転した気がする。

 

それから20数年。

車を運転した回数は覚えてるだけで2回。時間にして合計15分に満たない。

そう、ペーパードライバーだ。故に免許はゴールドだ。

 

正直免許を取り立ての頃から、車を運転する楽しさというか、良さがイマイチ良くわからなかった。尚且つこの鉄の塊で、人間を殺めてしまうのだと思うと怖くなった。

元々車自体もそんなに興味がない。

カッコいいなと思う車はあるが、大概日本の旧車なのでもし手に入れられたとしても車好きでないと維持できないだろう。

東京に住んでいて車が無くて困った事もない。このまま東京に住み続ける限り、車は必要ないだろう。駐車場代も馬鹿にならない。

 

しかしどこかで、車を運転するのが好き、という人を羨んでる自分がいる。

ストレス解消は車で適当にドライブする事です、という趣味を口にしている人に羨望の眼差しを向けている。

例えば英語圏の海外で突然暮らす事になり、英語なんて全く喋れなかったのが気が付いたら身に付く様に、車が無いと生活できない環境や仕事に就けば変わるのだろうが、今の所その予定も無い。

 

私の場合、実家の静岡に帰省する際や近場に旅行する際、最近は全てレンタカーを借りて車を利用している。もちろん私は助手席に鎮座するわけだが、運転は全て妻がしてくれている。「車の運転が好き」と言っていて喜んで運転はしてくれてはいるが、2人で運転出来た方が良いに決まっている。

 

少し前から言われている『若者の〇〇離れ』。その中の車離れ。

車に興味の無い若者は、運転免許すらも取っていないのだろうか。

そもそもそれは車の運転無しでも生活にそんな支障のないある程度都会だけに限った話であるだろう。車の維持が大変な場合はレンタカーで事足りるという事ではないだろうか。

 

なんか、今この瞬間、瞬間だけだろうが、こんな事を綴っていると免許を持っているのに運転しないのが急に勿体なく思えてきた。

運転代わるよ、なんて急に言い出したら妻は驚くだろうか。このまま死ぬ気かと、全力で止めに入るだろうか。

まずはペーパードライバー講習か。

あれって本当に意味あるのかな。

座右の銘

こんにちは。

 

私の『座右の銘』としてるのは、

 

人間万事塞翁が馬

 

という言葉だ。

私なりの解釈だが、因果応報と逆の意味ではないかと思ったからだ。

因果応報は良い事をすれば良い事が、悪い事をすれば悪い事が自分に返ってくる、という解釈でいるのだが、良い事をしても悪い事も起こるし、悪い事をしても良い事が起こるのが常で、良い事をしたから何か良い事が起きてほしいもしくは良い事が起きてほしいから良い事をしようなんて人間の浅ましさが何処かで見え隠れしてる様な気がして何となくあまりしっくりこなくて好きではない(過去に特に大きな裏切りとか云々があったわけではない)。

 

……全て意味合いを勉強不足で間違えていたら、常に心に太陽を精神で片隅に置いていた今までは何だったんだろうとはなるが、いいだろう。

 

都合良く解釈した方が幸せだから。

自分のルーツを辿る

こんにちは。

 

ひょんな事から、自分の祖父のルーツを家族から聞く。

40年以上生きてきて、辿るとそれは生まれた静岡から遥か遠く青森にあるらしい。

ご先祖様は武士だった………らしいが、どうなんだろう。

 

今日はバタバタしてるので、意地でも継続させてやると短いのですが失礼いたします。

誰かの文章

こんにちは。

 

自分がこのはてなブログを始めてみて、1ヶ月が過ぎた。

同時に、人のブログを見る機会が生まれた。

そんなに多くは閲覧していないが、(良い意味で)素性の知れない色々な人の色々な話や考え方が拝見できるのは何かとプラスの事だと思う。

 

思ったのは、改めてやはり自分の好きな文章とそうでもないものが明確になるということだ。

具体的にどこが、と言われると明確に現せない所もあるが、好きな小説家は内容も然ることながら文章表現(?)が好きになったからだ。

 

適当にブログを閲覧して、あ、なんか良いなと思えるものはそのままいくつか立て続けに同じ人の別の話も読みたくなる。

全く別の人なのに、同じ様に見てしまう人はやはりどこか文章の感じが似ている。

あ、自分と同じ様な感じだなと思うとついつい気になってしまう。

 

絵に個性が出る様に、文章にも個性が出るのは面白いなと思った。

同時に人を惹きつける文章を書くのは難しいわけだが、読み物で人を声が出る程笑わすのはかなりの高難度だと思うのだ。

本を読む時は基本1人の世界だ。

クスクス、というのは何度もあれど(心の中では爆笑の気持ち)、アハハ!と発声する笑いは中々起きない気がするが、どうだろう。

私の場合覚えてるのはたった2つ。

町田康夫婦茶碗』のたまごの件、ニック・ホーンビィ『ハイ・フィデリティ』(ちなみに映画も面白い)の主人公が女の子の部屋に行った時の件だけだ。 

https://www.amazon.co.jp/dp/4101319316/ref=emc_b_5_mob_t

https://www.amazon.co.jp/ハイ・フィデリティ-新潮文庫-ニック-ホーンビィ/dp/4102202110/ref=mp_s_a_1_2?crid=16SQ3VV5QU1G4&keywords=ハイフィデリティ+本&qid=1677547659&sprefix=ハイフィデリティ%2Caps%2C193&sr=8-2

後者は電車の中で読んでいたので、やばい声が出てしまったと思いつつ、笑いを堪えるのが必死で余計に面白かった。

 

多分、どちらも笑かそうとして作った文章では無い気がする。

いつか何処かの誰かが声を出して笑える文章ができるのだろうか。

意識してやってみるのもいいかも。

けど笑かしてやりたい!

と意気込んだ場合、それはきっと的外れなんだろう。